大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)4213号 判決 1969年5月20日
原告
松本健男
被告
大阪府
代表者知事
左藤義詮
代理人
道工隆三
外四名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、申立
原告は、被告は原告に対し金三〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日より完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決並びに仮執行の宣言を求め、
被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。
第二、原告の請求原因
一、原告は大阪弁護士会所属の弁護士であるが、昭和四二年七月一八日午後六時頃より大阪市内扇町公園大阪プールにおいて、原水爆禁止全面軍縮大阪府協議会が主催する被爆二二週年原水爆禁止、ベトナム反戦関西集会が開催され、同七時過頃より右集会参加者によるデモ行進(以下本件行進という)が扇町公園―梅ケ枝町―桜橋―中央郵便局(以下中郵という)前のコースで実施されたが、原告は、社会主義青年同盟(以下社青同という)の最後尾に近い隊列に加つて本件行進に参加した。
二、本件行進は極めて秩序正しく実施され、一般的な交通整理以外に特別の警察官による規制は何ら必要と考えられなかつたところ、大阪府警察本部(以下府警という)は、デモ行進に対する平素の方針に基き多数の制私服警官を動員していた。
原告らが午後九時頃信号に従つて桜橋交差点を進行し始めた直後原告の前方隊列と後続の学生の隊列が四列縦隊のまゝ両手を拡げて行進するいわゆるフランス式デモ隊形にうつり四列縦隊の最右翼にいた原告も当然右デモ隊形による行進に参加した。
三、この時突然五、六〇名ないし七、八〇名と思われる機動隊が原告の後続隊列である学生の隊列の右側から一団となつて襲いかかりデモ隊を右側から押しまくり続いて先行の原告らの隊列の右側から乱暴に押しまくつてきた。それ以後機動隊はデモ隊と一定間隔(約一米)をおいて並進規制をとり併行のまゝ進行したが、機動隊の右実力行使のあとをとり併行のまゝ進行したが、機動隊の右実力行使のあと社青同の隊列をはなれた原告は、デモ隊と警官隊の丁度中間に狭まれるような状態で進行したが、中郵前交差点に入り左折して陸橋(以下陸橋といえばすべてこの陸橋を指す)下附近に近付いた頃機動隊は二、三列の横隊となりスクラムを組むような隊形でデモ隊に向つて立ち、デモ隊を強く圧迫する行動に出たゝめ、デモ隊より一人突出していた原告は両者の間で両側から強く圧迫され、右側は勿論、前方後方を機動隊に接着し身動きできない状態で前方を向いて進行していたところ、陸橋下附近において、突然機動隊員より身体の右側から数回にわたり殴る蹴るの暴行をうけた。原告はその間何一つ抵抗をしておらず又デモ隊の側から警官隊に対するいかなる暴力の行使も行われなかつた。他方警官隊の側からは原告が目撃しただけでもデモ隊に対する暴行が行われていた。原告は数人と思われる機動隊員により間けつ的に数回の暴行をうけたが、その後機動隊が一せいに引揚げたことにより身体の自由を回復し、陸橋の西側附近で前行のデモ隊に救助されて即刻北野病院へゆき治療をうけた。
四、原告は右暴行により左記傷害を負つた。
(1) 右眉部切創(幅二糎)原因、手拳による殴打、傷痕残る。
(2) 右側腹部挫傷(経三糎の皮下出血斑及び周囲の圧痛)原因、警棒による突き、出血斑七月三一日頃消滅圧痛は八月二日頃迄残存。
(3) 右大腿前部挫傷(溢血斑)原因、足蹴り、八月二日頃迄残存。
(4) 左大腿内側挫傷(縦七糎横四糎の皮下出血斑)八月二日頃まで残存。
右(1)の右眉部切創の際多量の出血があり、又、右脇腹部の圧痛は二日後位より約一過間かなりの程度あつた。
五、機動隊の原告に対する暴行は違法である。
(1) 原告は、日常の弁護士業務に携行している手提鞄を終始右手に提げており、些かの抵抗もしなかつた。
(2) 右暴行は機動隊の圧縮規制の終了後圧縮態勢のまま機動隊とデモ隊が併進中加えられたもので、圧縮規制の仕方は極めて乱暴でありデモ隊の横側から力を込めて押しまくるやり方であるためデモ隊側が押し倒されまいとして踏んばらない限り押し倒されて怪我人の出ることは必定の況状であつた。
(3) 原告に対しては、警棒による刺突、拳手による殴打、足蹴りが加えられており、警察官職務執行法五条七条の制限を逸脱し傷害罪を構成するものである。
六、原告は本件暴行により金三〇万円相当の精神的損害を蒙つた。
(1) 原告は、原水爆禁止、ベトナム反戦の意義に共鳴し、これを公衆に訴え、この運動を発展させるため本件行進に参加したのであるが、原告のデモに参加する権利は機動隊の暴力により侵害された。すなわち警察のデモ規制が暴力を伴う現状においては、デモへの参加は、警察権力により事実上禁止されるに等しく、原告のデモ参加の権利の侵害は、同時に原告の抱いている反戦平和を求める思想良心の自由の侵害に当る。
(2) 国家権力による特定の国民の権利の侵害は、その態様が一般性をもつ場合には国民全体に向けられた権利の侵害とみなされうるのであり、損害額の算定に当つてはこの点が考慮されるべきである。しかも原告の受傷は、決して軽微ではなく、僅かではあるが、傷痕を残しており、又被害箇所如何によつては重大な傷害となるおそれもあつた。
七、原告に対する本件暴行は、公共団体である被告の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて故意に加えたものであるから、被告は国家賠償法に基き、原告が右暴行によつて蒙つた前記損害を賠償すべき義務がある。
よつて被告に対し金三〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因第一項の事実は認める。
二、同第二項の事実中府警が多数の制私服警官を動員したこと、デモ隊の一部原告所属の隊列等が桜橋交差点を過ぎ北進を始める頃フランス式デモ隊形に移つた点を認め、その余は争う。
三、同第三項ないし第六項は争う。
第四、被告の主張
一、本件行進は概ね平穏に行われ、原告所属の隊列等極く一部の者が遅足行進、フランス式デモ、ジグザグ行進等をしたのでこれに対し警察から警告を発したり規制したことはあるが、その都度直ちに概ね正常な行進に復したので警官隊がデモ隊に襲いかかるとか乱暴に押しまくるとかしたことはなく、況んや原告等デモ隊員に暴行した事実は絶対になかつた。
二、当日出動した警官隊は、出動前に幹部が会合して警備についての打合せをし、警備実施に行き過ぎのないよう配慮し、出動隊員に対しては、上司より順次その趣旨を周知徹底させ、特に警棒は各自独自の判断では使用しないことを指示したが、本件行進中上司よりその使用を命じたことはなかつた。
三、本件行進は、全般的には平穏で一部デモ隊員間に小さなトラブルはあつたが、デモ隊員の負傷の届出や抗議など現場では全然なかつた。もしかようなことがあれば、直ちに幹部に判明する位平穏であり、警官隊も秩序整然と警備態勢を維持した。
四、原告の主張によれば、本件暴行は陸橋の真下を過ぎて警官隊が中郵東南角の歩道に引揚げるまでの十余米の区間(別紙図面参照)において、これを通過する数十秒の間に間けつ的に行われたことになるのであり、原告が救出されたのも中郵東南角に対応する道路の南端の歩道附近ということになるのであるが、果してそうであろうか。この地点から以西解散地点に至る間は、警官はデモ隊と併進していないのである。この間、実際は、双方の終着点の相違で扇形に遠ざかつているが、もし原告が救助されたのが、機動隊が離れた直後ならば一般の目にとまり、後続参加団体には特に目にとまり、しかもそれが警官の暴行によるもので、被害者が原告のような知名人であれば大問題となり、必ずや明白な抗議があつて然るべきものである。
しかるに当日は現場において原告の負傷については、何人からも抗議がなく、それから六日も経過した後始めて府警に抗議があつたのであるが、被告側において詳細調査しても遂に原告主張の加害事実は何等の手掛りがえられなかつた。むしろ前記のようにデモ隊内において、陸橋附近で社青同と後続の反戦高校協議会(以下反戦高協という)との間でつかみ合いの紛争があり原告はそのすぐそばで行進していた事実からするとこの飛ばちりから必ずしも陸橋附近のみでなく、長いデモ行進中に負傷したのではあるまいか。前後の事情によるとその可能性は極めて濃厚であるが、そうだとすると加害行為の主体が警察官でないのであるから、他の成立要件について論ずるまでもなく原告の本訴請求は失当であることはいうまでもない。
なお、原告が負傷の場所並びに負傷時の模様を当初中郵前交差点内であつて、アサヒビールレストラン前附近より陸橋附近に至る間機動隊員に襲撃された旨主張していたのを陸橋下附近でデモ隊と機動隊に狭まれ右側及び前後を機動隊に接着した状態で暴行をうけた旨変更したのは時機に遅れた攻撃防禦方法である。
第五、証拠<略>
理由
一、まず、被告の民訴一三九条一項の申立から判断する。
被告は、原告が受傷場所及び受傷時の模様に関する主張を変更したのは時機に遅れた攻撃防禦方法であると主張するが、原告が右主張の変更をしたのは昭和四三年一二月二日の第一〇回口頭弁論期日においてではあるけれども本件訴訟の全経過に徴すればこれにより訴訟の完結を遅延せしむべきものではなかつたと認められるから被告の右申立は採用できない。
二、そこで本件の審案に入ることとする。
(一) 原告の請求原因第一項の事実は、当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、昭和四二年七月一八日頃原告は本件行進に参加した際、(1)幅二糎の右眉部切創(2)経三糎の皮下出血斑及び周囲の圧痛を伴う右側腹部挫傷(3)溢血斑を伴う右大腿前部挫傷(4)縦七糎横四糎の皮下出血斑を伴う左大腿内側挫傷の負傷をしたこと、右負傷は、同月二六日頃まで安静加療を要するものであり、原告は、大阪市北区西扇町所在北野病院及び京都市下京区西七条南中野町所在南病院において診断並びに治療を受けた事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
(二) しかしながら原告の全立証によつても原告の右負傷が被告の公務員である府警察官の暴行によるものであるとの事実は、遂にこれを確認することができない。
以下原告主張の事実関係について順次検討を加える。
(1) 事件の経過について、
<証拠>を総合すると、本件行進に原告主張のコースを通り出発から解散までに約四〇分位を要したこと、出発点は大阪市内扇町公園大阪プールであり解散地点は同市北区梅田町所在新阪神ビルと西阪神ビルとの中間路上であり、流れ解散であつたこと、本件行進に対し所轄警察署長は、扇町公園から南扇町までは車道の左側、南扇町から桜橋までは車道の右側、桜橋から解散地点までは車道の左側を通行することと定めた道路使用の許可条件を付したこと、府警機動隊は陸橋近くまでは歩道又は車道上をデモ隊と並進しつつ規制するいわゆる並進規制をしていたこと、原告は社青同と反戦高協の境目辺りをデモ隊の右側端に位置して行進したこと、本件行進は、全体的には概ね平穏に推移し、デモ隊と警官隊とが衝突するとか、乱斗したようなことはなく、ただ桜橋交差点をやや過ぎた地点にあるワルツ堂附近から原告の参加していたデモ隊は道路のセンターラインを越えて拡がつた隊形をとるいわゆるフランス式デモを始めた(フランス式デモをしたことは当事者間に争いがない)ので警官隊は広報車のスピーカー或いは指揮官の所持するトランジスターメガホンによつて元の隊形に戻るよう警告し、或いはデモ隊の側面に並んで歩道寄りに圧縮するいわゆる圧縮規制を行つたところデモ隊は元の隊形に復したこと、その後警官隊は陸橋を過ぎた地点で相互に左右に、分裂した形状でデモ隊と分離したこと、この間原告所属の社青同、反戦高協のデモ隊は、陸橋手前附近から最前列がスクラムを組み後列者はそれぞれ前者のバンド等を掴んで行進するジグザグ体制をとつたので並進する警官隊と接触したこともあつたが陸橋を通過する直前頃から原隊形に復し平穏に流れ解散したこと、原告が負傷しているのが発見された最初は中郵横の解散地点においてであつて、血に染つたハンカチで顔を押え群衆の中に立つている原告を社会党大阪府本部今西良一が発見し、直ちに北野病院ヘタクシーで運び治療したこと、以上の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く他に右認定を覆えすような証拠はない。
(2) 原告の受傷場所について
原告は前掲新阪神ビル前所在陸橋下附近において受傷したと主張する。
しかし<証拠>によれば次の事実を認めることができる。
原告は陸橋通過の前後頃は反戦高協と表示した旗をもつた旗手右側附近デモ隊の右側端においてこれと並進する警官隊に狭まれて進行したこと、デモ隊内部の原告附近では陸橋に達する直前頃真横において旗手とみられるデモ隊員と直前の後向きになつた隊員とが手を掴み合つて口論しているので、原告右横の警察官が原告の右腕をとり注意を与えているが、並進する警官隊は整然と行進しており、デモ隊と警官隊との間には何ら衝突等の事故の発生する状況になく、陸橋直下前においては、警官隊はデモ隊の右側に並列してその通過を見守つているがデモ隊との間には可成りの間隔があり、両者の間に衝突等の発生する模様のないことなどの事実が認められ、デモ隊と警官隊とを対照すると警官隊が比較的秩序正しく行進又は並列しているのに対しデモ隊は極めて雑然としており、その内部の無秩序或いは争乱の状況が殊に、原告の附近において顕著であることが明らかである。
してみれば、原告がその主張のように陸橋下附近において機動隊の襲撃をうけ負傷することは容易に想像し難いことであり、また、陸橋下に達するまでの間において原告が負傷していたということは、前掲検乙第一ないし三号証(写真)に照らし認め難く、むしろ前記状況下において原告が負傷したとすれば陸橋下通過後であると推測するのが妥当であろう。
(3) 原告の受傷部位について
前記認定にかかる原告の受傷部位並びに前掲検甲第一ないし四号証(写真)によれば、原告の受傷が右側からの攻撃によるものであることは容易に推定でき、また前記認定事実によれば、原告の右横には警官隊が並進又は並列していたのであるから原告が解散地点に至るまでの間に負傷したとするのは当然である。
しかし、前記認定のような状況下において原告が陸橋下に達するまでの間に警官隊の暴行をうけたと認め難いことは前述のとおりであり、また、陸橋を過ぎると程なく両者は扇形に分離していつたのであるから特別の事情がない限り警官隊により暴行をうけることはたやすく想像し難い。
少くとも解散地点において、警官隊の暴行をうけるような状況になかつたことは、前掲検乙第九号証(写真)と証人和田増義の証言によつてこれを認めることができ、この認定に反する証拠はない。
もつとも証人和田増義の証言によれば警官隊は陸橋前から陸橋南部の西方に突き出た階段登り口附近まで、すなわち陸橋下から西方約一四、五米の間、後記のような並列規制を敷いた事実が認められ、又、原告本人尋問の結果によれば、原告は陸橋に至るまでもしくは陸橋下附近で負傷したが、最後に眉を殴打されると、機動隊は引き上げ、原告も体の自由を回復したので出血を押えながら約三、四〇米知人を求めて歩いていると前記今西良一に出合つたというのであつて、右供述によつてみると、原告が陸橋下に至るまでの間においては前記のように警官隊により負傷することがなかつたとしても、陸橋下から警官隊が並列規制を敷いていた一四、五米の間において警官隊より暴行をうける可能性が全く存在しなかつたわけではないといえよう。
しかしながら原告本人尋問の結果によつても原告に負傷せしめた暴行犯人が何人であるか、すなわち警察官であるか否か、又暴行の方法についても、原告自身目撃していないから不明であるというのであるし、更に、原告が何故にかかる暴行をうけたのか、その動機、原因等一切不明であつて、およそ法治国の警察官が何等の理由ももなく無抵抗の原告に対し、原告主張のような常軌を逸した行動をとることは、たやすく、想定しえないところである。
原告はその本人尋問において、陸橋下附近では、警官隊は顔をデモ隊の方に向けて半ば並進しながら圧縮規制を行つており、原告が、足、もも附近を足蹴りされ、或いは横腹を突く等の暴行をうけたのは、そのような規制下においてであつたと供述するのであるが、<証拠>写真によれば、陸橋下附近における警察の規制方法は、原告の主張、供述するようなものではなく、デモ隊に側面して二列ないし三列に並列してデモ隊の通過を見送る程度の規制方法に過ぎなかつたことが明白であり、原告の右供述はにわかに措信し難いところである。
のみならず、原告の供述によれば、原告は五秒ないし一〇秒おきに、右、左足、脇腹、右眉の順で、順次足蹴り、突き、殴打等の暴行をうけたというのであるが、前記認定のように陸橋下附近では、警官隊は殆んど停止した状況で並列規制を敷いていたのであるから原告は一名の警察官ではなく、数名の警察官により暴行をうけたことになり、その理由について、原告本人の供述のように、当時何等の混乱もなかつたとすれば、理解に苦しまざるをえない。
原告本人の供述の中には、前記認定の桜橋交差点を通過した辺りで始められたフランス式デモに対する圧縮規制の際、社青同梯団所属のデモ隊員が、警察官に突き飛ばされたのを目撃して、何をしているのかと機動隊に注意したことがあり、又社青同に対しては、日頃、警察官は、強い憎悪の感情を抱いている旨の部分がある。けれども原告が暴行をうけたのが解散地点の近くであるとすれば、原告が、右注意をした地点とは相当の間隔があり、又陸橋下附近における警察の規制態勢が前記のとおりであれば、原告は自己に暴行を加えた人物を目撃し得た筈であるし、更に他人に対する暴行に抗議した原告が自己に対する暴行に抗議しなかつたのは、不思議であるといわねばならない。
原告本人の供述によれば、原告が暴行の現認をしなかつたのは、もし口頭又は実力による抵抗の素振りをすれば、直ちに公務執行妨害の現行犯として逮捕されるからであり、暴行現場において警察に抗議しなかつたのも同様の理由によるものであるという。
しかし、法律専門家たる弁護士である原告が、実力による抵抗ならとも角口頭による抗議をすること或いは暴行の事実を目撃すること自体、公務執行罪を始めとするいかなる犯罪をも構成しないことを知らない筈はないのであるから、暴行の現認すらしないという理由は到底理解できないところであり、まして原告は、前記認定のように血に染つたハンカチを顔に当てていたのであるからその事実を示して警察に抗議することは当然あつて然るべき事柄に属する。
原告は自己の附近においてデモ隊内部でトラブルのあつたことは記憶していないと供述するが、<証拠>(写真)によれば、原告は自己の真横で展開されるデモ隊員間の対立抗争の模様を現認している事実が明らかに観取されるのであるから、原告の右供述は、原告の記憶が必ずしも正確でないことを証明することになるであろう。
原告附近に居たデモ隊員間に対立抗争のあつたことは前記認定のとおりであり、その一人が旗手であつて、左程長くないと見られる旗竿一本を所持していたことが窺われる点よりすれば、解散に際し、相手を旗竿で突き、或いは殴打、足蹴りなどの暴行を加えて立去ることはありえないことではなく、たまたまその相手を原告と取り違えることも考えられなくはない。原告が解散地点において血に染つたハンカチで顔を押えてちよ立していたのが発見された最初であることからすれば右の推測を裏付ける資料が全然ないともいい切れない。
しからば原告の受傷部位が右側からの攻撃であることのみをもつてしては、加害者が警察機動隊であると断定するわけにはいかない。
すなわち原告の請求原因事実はその証明が十分でないことに帰着することとなる。
三、集団示威行進に参加することは国民の重要な基本的人権である表現の自由の権利行使に属し、これが如何なる暴力によつても侵害されてはならないことは誠に原告主張のとおりであり、以上説述した如く、原告の本件負傷がいかなる集団に属する人物の暴行によるかが結局確認しえないとしても、本件行進に参加した機会において、原告が前記認定の負傷をしたことは、痛恨に堪えざるところである。もとより国家賠償請求の要件として、集団対集団の場面における加害行為については加害者たる公務員個人の識別は必ずしも必要ではなく、国又は公共団体所属の公務員により職務遂行上なされた有責の加害行為であることの特定さえできるならば、これをもつて国家賠償法一条一項の責任の成立要件を充足するものと解するのが相当である。
しかし本件においては、加害者の所属する集団の識別さえできないのであるから、その余の判断をなすまでもなく原告の本訴請求は、全部失当として排斥を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(石崎甚八 仲江利政 南三郎)